大阪地方裁判所 平成3年(モ)50471号 判決 1991年10月22日
申立人(被申請人)
三洋電機株式会社
右代表者代表取締役
井植敏
右代理人弁護士
竹林節治
同
畑守人
同
中川克巳
同
福島正
同
松下守男
被申立人(申請人)
黒井静子
右代理人弁護士
寺沢勝子
同
出田健一
同
永岡昇司
同
國本敏子
同
田窪五朗
同
鎌田幸夫
同
東垣内清
同
戸谷茂樹
同
田島義久
同
梅田章二
主文
一 申立人と被申立人との間の大阪地方裁判所昭和六二年(ヨ)第一二八一号地位保全金員支払仮処分申請事件について、同裁判所が平成二年二月二〇日にした仮処分決定のうち、被申立人に関する主文第一項の全部及び同第二項中平成三年三月二一日以降の金員の仮払いを命じた部分を取り消す。
二 申立人の右決定のその余の部分の取消しを求める申立て及び別紙請求債権目録記載の金員の返還を求める申立てをいずれも却下する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を申立人の、その余を被申立人の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一申立て
申立人は、主文記載の仮処分決定を取り消し、被申立人に対し、別紙請求債権目録(略)記載の金員の返還を命ずる旨の判決を求め、被申立人は、本件仮処分取消しの申立て及び右金員の返還を求める申立てをいずれも却下する旨の判決を求めた。
第二事案の概要
一 被申立人を申請人、申立人を被申請人とする大阪地方裁判所昭和六二年(ヨ)第一二八一号地位保全金員支払仮処分申請事件につき、同裁判所は、平成二年二月二〇日、次のとおり仮処分決定をした(以下「本件仮処分決定」という。この事実は当事者間に争いがない。)。
「1 申請人が被申請人の従業員たる地位にあることを仮に定める。
2 被申立人は申請人に対し、三五三万六四〇〇円及び平成二年二月から本案の第一審判決の言渡しがあるまで、毎月二五日限り月額一〇万五〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。
3 申請人のその余の仮処分申請を却下する。
4 申請費用は被申請人の負担とする。」
二 本件仮処分決定は、申立人(被申請人)に雇用される定勤社員として期間を一年とする労働契約を締結していた被申立人(申請人)に対し、申立人が昭和六二年三月二〇日の契約期間満了をもって右契約を終了させ、これ以降契約更新をしないこととした措置(以下「本件雇止め」という。)を不服として、被申立人が従業員としての地位保全と賃金相当額の金員の仮払いを求めた事案につき、申立人と被申立人との労働契約はその実質において期間の定めのない労働契約と異ならない状態で存在していたものであって、本件雇止めの効力を判断するに当たっては、解雇に関する法理を類推すべきところ、使用者たる申立人としては雇止め回避のための努力を尽くすべきであると解されるのに、本件雇止めは、十分な回避努力を欠く点において合理的理由がなく、無効であることなどを理由としてなされたものである。
三 申立人は、次のことを理由に、事情変更による本件仮処分決定の取消しを求めた。
申立人の定勤社員就業規則一八条は、定勤社員の雇用期間が満了しても、会社は必要に応じて契約を更新することがある旨を定めた上、「ただし、別に定める一定年齢に到達する場合には契約更新を行わない。」と規定している。ここで「別に定める一定年齢」とは満年齢五七歳をいい、申立人の内規に定められている。
仮にかかる内規の存在が認められないとしても、申立人が雇用してきた定勤社員は一人の例外もなく満年齢五七歳に到達する年には契約更新を行わず、いずれも契約期間満了により退職してきたのであって、このことは申立人と定勤社員との間における慣行になっていた。
ところで、被申立人は、右就業規則の適用を受ける定勤社員であったが、昭和九年八月二〇日生まれで、定勤社員の雇用期間が満了する平成三年三月二〇日現在満五六歳であった。したがって、仮に翌同月二一日から定勤社員雇用契約が更新されるとすれば同日から一年間の期間中に被申立人が満五七歳に到達することになるから、同契約の更新は当然行われず、被申立人は、申立人に対する雇用契約上の地位を平成三年三月二〇日をもって喪失したことが明らかである。
なお、定勤社員の満年齢が右の趣旨で満五七歳に到達する場合に、申立人と定勤社員との雇用契約が更新されないこと自体は、被申立人も本件仮処分決定における審理の過程において争っていなかったところである。しかるに、これを本事件において覆すことは、信義則に反し許されない。
したがって、本件仮処分決定は、日時の経過と契約更新時の年齢制限によりその事情が変更して、平成三年三月二一日以降について被保全権利が消滅した。
四 これに対し、被申立人は、右申立ての却下を求め、その理由として次のとおり述べた。
定勤社員就業規則中に、定勤社員の地位が失われるべき年齢を具体的に定めた規定はなく、申立人が主張する内規はその存在が疎明されておらず、仮に存在するとしても、労働基準監督署に届け出られてもおらず、公示もされていないから、規範的効力はなく、労働契約を規律する効力はない。
申立人は、予備的に、満年齢五七歳に達する場合には雇用契約の更新は行わない旨の慣行に基づき申立人と被申立人との雇用契約は平成三年三月二〇日をもって終了した旨主張するが、申立人が慣行と主張するものは、労使ともこれにつき規範意識を有していないから、かかる慣行が成立していたとはいえない。また、申立人の女子正社員の定年は満六〇歳であり、かつ、定年年齢を六〇歳以上に引き上げることが社会的要請とされているから、満五七歳をもって定勤社員の定年であるとする慣行は公序良俗に反し、法的規範性を有しない。労使慣行が事実たる慣習として成立しているといえるためには、当事者が明示的にこれによることを排斥していないことが必要であるところ、被申立人は、本件において申立人のした上記慣行の存在に関する主張を全面的に排斥して争っているから、申立人の主張する慣行が申立人と被申立人との間に法的結果を有する事実たる慣習として成立しているとはいえない。なお、被申立人が本件仮処分決定の審理の過程で主張していたのは、定勤社員について、本人が希望しさえすれば特段の事情のない限り満五七歳になるまで契約が更新され、その意思に反して解雇されることがないという事実たる慣習の存在であって、労使慣行としての定年制が存在するなどと主張したものではない。
五 したがって、本件の争点は、定勤社員につき満五七歳に達する場合には雇用契約を締結しないとの就業規則の定めないし慣行が存在するか否かである。
第三判断
一 当事者間に争いのない事実、疎明及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。
1 申立人が昭和五九年二月三日に守口労働基準監督署に届け出た現行の定勤社員就業規則(<証拠略>、以下「現規則」という。)には、定勤社員にかかる雇用契約の更新に関し、「定勤社員の雇用契約期間が満了した時、本人の希望・勤務成績・健康状態を勘案して契約を更新することがある。ただし、別に定める一定年齢に到達する場合には契約更新は行わない。」と規定されている。
ところが、申立人が昭和五八年四月一三日に同監督署に届け出た定勤社員就業規則(<証拠略>、以下「旧規則」という。)には、右但書に相当する部分が「ただし、満年齢が男子五七歳、女子五七歳に到達する場合には契約更新は行わない。」と規定されていた。
2 申立人が定勤社員との間で取り交わす雇用契約書の「契約期間」欄には、通常の場合、「会社の業務の都合により契約を更新することがある。」と不動文字で記載されている(<証拠略>)。ところが、雇用契約期間中に満五六歳に達する者にかかる雇用契約書については、これと異なり同欄に「本契約をもって最終契約とし、契約は更新しない。」と不動文字で記載され(<証拠略>)、申立人は、同契約にかかる雇用期間満了に先立って各定勤社員に対し、最終出勤日を告知するとともに、退職慰労金の振込先、社会保険に関する事項等を問い合わせるなどの手続を行い(<証拠略>)、各定勤社員は、右の手続を経た後円満に退職していた。このことは、旧規則が現規則に変更される前後で変わりはなかった(<証拠略>)。
また、被申立人を含む定勤社員は、定勤社員として採用される際に、定勤社員になると満五六歳に達した時の契約期間の満了まで勤務することができると受け取れるような説明を申立人から受けており、このことから、定勤社員の間では、厳密には正確でなく、漠然とした理解にとどまるが、満五六歳に達した時の契約期間の満了時を定勤社員の定年と俗称して、右契約期間満了までは勤務を続けられるものの、それ以降は、雇止めその他更新を拒む意思表示をとくに要することなく、当然に被申請人の従業員たる地位を失うものとの理解が行きわたっていた(このことは、被申立人が本件仮処分決定の審理の過程で主張し、疎明していたことでもある。<証拠略>)。
3 被申立人は、昭和九年八月二〇日生まれで、平成三年三月二〇日時点で満五六歳であり、仮に同月二一日から契約を更新したとすれば、その一年間の契約期間中である平成三年八月二〇日に満五七歳に達することになる(争いがない。)。
二 現規則一八条は、申立人と定勤社員との雇用契約期間の満了を原則的な定勤社員の退職事由とした上、期間満了の都度新たな雇用契約を締結して雇用契約関係を継続させ、ただ、定勤社員が一定の年齢に達する場合には例外なく新たな雇用契約を締結しないとする趣旨のものということができる。したがって、右規定の但書は、いわゆる期間の定めのない雇用契約関係を前提とした定年制を定めたものではなく、新たな雇用契約の締結に対する年齢的制限を定めたものということができる。ところで、就業規則には退職に関する事項を定めなければならないところ(労基法八九条三号)、現規則は、契約期間の満了等を一般的な退職事由として規定しているから、この点において右労基法の規定に違反するものではない。そして、右但書は、右のとおり単に新たな雇用契約の締結に対する年齢的制限を定めたものにすぎないから、右年齢を就業規則に具体的に定めず、これを下位の規範に委ねることも違法とはいえず、このような下位の規範もその存在が認められる以上、就業規則と一体をなすものとして労働契約の内容を規律する効力を有するものである。
三 前記認定事実によると、仮に新たに雇用契約を締結(更新)したとすればその期間が満了するまでに満五七歳に達する定勤社員(すなわち雇用契約締結時五六歳である定勤社員)については、旧規則上新たな雇用契約を締結しない旨が明記されていたところ、新規則においては、その年齢を具体的に定めず「別に定める一定年齢」としながらも、雇用期間中に満五六歳に達する定勤社員については、その雇用契約書に不動文字で、同契約をもって最終契約とし、期間満了後新たに契約を更新しない旨が明記されており、実際にも同契約の満了後新たに雇用契約が締結されることはなく、右期間満了をもって退職していることが明らかであり、これに反する疎明はまったくない。したがって、申立人においては、旧規則から新規則への移行によって、雇用契約締結に関する制限年齢を変更したものということはできず、新規則において明記されてはいないものの、同規則の条項にいう「別に定める一定年齢」は、満五七歳であると推認することができる。そして、定勤社員につき期間の定めのある雇用契約が反復更新され、雇用契約関係のある程度の継続が期待されているとしても、被申立人が、仮に新たに雇用契約を締結したとすれば契約期間中に満五七歳に達する場合には、当該雇用契約は締結されず、現に継続中の雇用契約期間の満了をもって、雇止めその他更新を拒む意思表示をとくに要することなく、当然に申立人の従業員たる地位を喪失することを了解していたことは前記のとおり明らかであるから、このような場合にもなお雇用関係の継続を期待していたとは到底認めることはできず、現に継続中の雇用契約の期間の満了をもって申立人の従業員たる地位を喪失するというべきである。なお、前記のとおり、現規則一八条但書は、期間の定めのない雇用契約関係を前提とした定年制を定めたものではなく、定勤社員につき新たな雇用契約の締結、すなわち契約更新に対する年齢的制限を定めたものであるから、この年齢的制限が正社員の定年年齢よりも低く定められているとしても、この程度の区別をもって特に合理性を欠いたものとはいえず、したがって、公序良俗に違反するものとはいえない。
被申立人は、昭和九年八月二〇日生まれで、仮に平成三年三月二一日から雇用契約を更新したとすれば、その一年間の雇用契約期間内に満五七歳に達することは明らかであるから、同日以降申立人との間で雇用契約が締結されることはありえず、本件仮処分決定当時に被保全権利及び保全の必要性が存在したとしても、同月二〇日の満了をもって、被申立人は申立人の従業員としての地位を喪失したものといわざるを得ない。また、従業員としての地位の喪失に伴い、被申立人が申立人に対し同月二一日以降の賃金支払請求権を取得する余地もなくなったというほかない。
そうすると、本件仮処分決定は、時間的経過により事情が変更し、被申立人の申立人における従業員たる地位にあることを仮に定める部分及び右同日以降の賃金相当の金員仮払いを命じた部分は、これを維持することができなくなったというべきであるから、主文記載の限度で取消しを免れない。
四 (被申立人仮払金の返還を求める申立てについて)
なお、被申立人は、右のとおり、申立人に対する従業員たる地位を平成三年三月二〇日をもって喪失し、それ以降に支払われるべき賃金請求権を失ったというべきである。そこで、申立人は被申立人に対し別紙請求債権目録記載のとおり、同年四月から六月分の賃金相当額の仮払金合計三〇万一五〇〇円を支払ったから、民訴法一九八条二項の類推適用により右金員及びそれぞれの支払日の翌日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた。
民訴法一九八条二項は、仮執行宣言付の本案判決が取り消されまたは変更されたことに伴い仮執行宣言が失効した場合において、右仮執行宣言に基づき被告が給付した物の返還義務(原状回復義務)の履行に関する簡易な手続を定めたものである。そして、金員の仮払いを命ずる仮処分命令が仮処分取消しの判決によって取り消された場合も、金銭の支払を暫定的に命じた裁判が後に取り消された場合であることにおいて仮執行宣言付の本案判決が取り消された場合と似たところがあることは否定できないが、ほかに原状回復を求める方法がなければともかく、単に性格が似ているというだけで、明文の根拠もなしに、右規定を類推して仮処分取消しの手続内で簡易な手続による原状回復を認めることには慎重でなければならない。平成元年法律第九一号による改正前の民訴法の規定による保全事件の手続においては、仮処分取消しの手続内で原状回復の申立てを認め、取消判決の主文においてこれを被申立人に命ずることを許容した法律上の根拠はない(右改正前の民訴法の規定には民事保全法三三条のような規定は置かれていない。)上、仮処分取消しの手続と別に、不当利得返還請求などの方法によって仮処分決定により被申立人に支払われた金員の全部または一部を申立人に返還することを求めることができるものであり、本件もその例外ではない。したがって、申立人の右民訴法の規定による申立ては許されず、これを却下すべきである
(裁判長裁判官 岨野悌介 裁判官 田中俊次 裁判官 一谷好文)